李方子

こう書くと、韓国人、それも王族関係者と思われるかもしれないが、れっきとした日本人の女性です。

元皇族です。元の名前は、梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)さまといいます。

韓国では、彼女を「イ・バンジャ」と呼びます。

韓国の李氏朝鮮時代の最後の皇太子の李垠(イ・ウン)と結婚して、韓国で慈善事業などを手掛け、韓国人に愛されながら、87歳で、昌徳宮(チャンドックン)で亡くなりました。

彼女は、もともと皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補のひとりとして、取りざたされてたようです。
当時、、日韓併合後の「内鮮一体」を目標にかかげていた日本政府、渡りに船という感じの政略結婚だったのかもしれません。あるいは、山縣有朋による策略だったのかもしれません。

韓国に帰化した彼女は、当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児教育(主に知的障害児・肢体不自由児)に取り組み、知的障害児施設の「明暉園」と知的障害養護学校である「慈恵学校」を設立しました。
この功績が認められ、韓国政府から「牡丹勲章」が授与されています。
後に、韓国国民勲章槿賞(勲一等)を追贈されています。

お二人のお子さまをなしますが、長男は、一歳の誕生日を待たずして亡くなり、二男も、アメリカ人と結婚してアメリカに帰化しましたが、最終的には、お子さまもなく、日本の元李王家邸であった赤坂プリンスホテルで亡くなっています。

ここに、李王家の直系子孫は絶えることになります。