イ・スンシン

イ・スンシン(李舜臣)というと、日本では、豊臣秀吉の時代に、文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いて、日本水軍と戦った英雄として有名ですが、彼の人生は、そう華々しくは無かったようです。

性格は軍人向きで勇猛果敢でしたが、科挙の試験には、10年もかかって合格しています。

朝鮮王朝内で、イ・スンシンの戦功を妬む輩があることないことを流して、彼を査問にかけたりされた。その結果は、彼は難を逃れたが、精神的には病んだと言われています。

そんな中、朝鮮王朝は加藤清正の上陸を狙って攻撃するように李舜臣に命令しました。しかし李舜臣はこれを日本軍の罠と考えて独断で攻撃を実施しませんでした。朝廷ではこれを命令違反として咎める声が大半となり、李舜臣は更迭され、拷問を受けて一旦は死罪を宣告されますが、助命嘆願のかいがあって、一兵卒よして一から出なおしています。

最後は、日本軍と戦っている時に、流れ弾にあたって落命したと伝えられています。

韓国では、イ・スンシンは、国を象徴する国民的英雄とされているので、肖像画が紙幣や硬貨に描かれたり、韓国のソウルの官庁街である景福宮の光化門から伸びている世宗路という大きな通りには、銅像が建てられて、街行く人々を見守っているというより、見下ろしています。