沙也可と書いて、「さやか」と読みます。韓国人か、日本人か、どちらの名前かはっきりしませんが、れっきとした日本人です。
韓国では、金忠善(キム・チュンソン)と呼ばれています。
豊臣秀吉の時代、無茶な韓国侵略で有名な、文禄・慶長の役に参加した日本側の侍大将ですが、なぜか、この戦争は間違っていると思うやいなや、韓国側に投稿し、韓国軍として日本軍と戦った人間です。韓国では、大邱(デグ)の郊外の山奥に祀られています。また、彼の子孫が今も静かに暮らしています。残念ながら、韓国人として長く暮らしているので、日本語はまったく話せませんが、自分たちの先祖は、日本人と言っています。
彼は、韓国では当時珍しかった、火縄銃の技術を韓国側にもたらして、その結果、日本軍は大きな損害を受け、完全撤退につながったと指摘する後世の歴史家もいます。その功績が、当時の朝鮮王から認められて、金姓を賜り、金忠善と名乗るようになって、大邱の郊外に住むようになったと伝えられています。
彼の先祖は、いろいろと意見があるようですが、「さやか」という読み方から、雑賀衆ではないかと言われています。雑賀衆は、文禄・慶長の役に参加に参加しており、当時、火縄銃の知識もあり、織田信長を苦しめたことでも有名です。
当時は、裏切り者として、日本側でも後の処置に困ったことだと思います。日本側の記録にも、この戦いで、何百人か行方不明になっている記述があります。
機会があれば、一度、彼の子孫と当時を思い馳せ、酒を飲み交わしたいものです。